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前にアレックス・オチョアを見つけたときに、


ふと「探せば助っ人外国人のメジャーリーガー時代のがあるんじゃないか?」と思って、

いろいろと探っておいた。


すると、案の定何人かの古いカードを発見した。

今日は2000年から2001年くらいに日本ハムファイターズに助っ人にやってきていたシャーマン・オバンドーのカードだ。


2000年前後の日ハムといえば、大島監督が率いてて「ビッグバン打線」という強力な打線で戦っていたような気がする。小笠原とか金子とかいてね。オバンドーも30本くらい本塁打ぶっ放して存在感しめしてた気がするよ。


オバンドーのカードは日本のものでは2種類持っている。

一枚はおなじみBBM。もう一枚はアッパーデック


そのアッパーデックのカードの裏面に「心優しい大男はバナナが大好き」「1日10本は食べるという」という、どうでもいいようで、どうにもホッコリする情報が書かれていた。


ちなみにそのアッパーデックのカードがこちら。



ね、書いてあるでしょ?


そして、これがメジャーリーグで頑張ってたころのオバンドー。



アレックス・オチョアって覚えてる人いるかなあ。


たしか2003年か2004年ごろだったような気がする。


中日ドラゴンズの助っ人外国人でさ、移籍して最初の巨人戦でものすごい強肩ぶりを見せて、三塁ランナーだった仁志を釘付けにした、あのアレックスだ。


弟とテレビの前で「うおー! スゲェ肩!」と興奮したのをよく覚えている。



強肩ぶりで我々兄弟を興奮させた外国人選手は、このアレックスのほかには巨人時代のロベルト・ペタジーニくらいのものだ。(東京ドームでライトを守っていたペタジーニが、バックホームに送球した際にキャッチャーの頭上を大きく超え、ネットを揺らしたシーンに驚嘆したのである)


だけど、正直、打撃や走塁など、他の要素に関しての記憶はまるでない。


それどころかどんな顔をしていて、体は大きかったのか小さかったのか、太っていたのか痩せていたのか、そういった諸々の情報もスッポリと抜け落ちていて、まるで思い出せない。


ただ、記憶にあるのは強肩ぶり――。


そんなアレックス・オチョアのメジャーリーグ時代のカードを見つけたので載せておく。

BBM2000センチュリーベストナインを愛で続けているが、今回は開封直前、直後に撮影しておいた写真を主に載っけておこう。


何気なく改めてじっくりと眺めてみた。

すると、ちょいとした発見があった。


それは「製作・総販売元」は「(株)ベースボール・マガジン」なんだけど、「発売元」は「(株)エポック社」なんだってこと。


かつては力を合わせて商売してたんだなあ。

今じゃ完全に袂を分かつ状態だもん。妙に感慨深い発見だった。


ちなみに今では「ボックスの裏面にチェックリストがある」のがド定番だが、センチュリーベストナインのボックスの裏面にはチェックリストはない。

痛恨のミスだ。。。


俺としたことがこの長々ポップ(?)みたいなのを紛失してしまった。。。


多分捨ててはないんだろうけど、引っ越しした際にどっかにいっちゃったんだろうな。結構必死になって探してみたけど、見つからず(´・ω・`)




パックに1枚、カードとは別に封入されているのがコチラ。

センチュリーベストナインを投票してもらうための宣伝(情報)が書かれたものだ。

チラシ風チェックリストにしても、このアイテムにしても、多少無理してボックス開封した甲斐があったと思えるんだよな。


一応裏面も載せとこう。



Yahoo!内でコーナーが設けられていたみたい。アドレスも「http://bestnine.yahoo.co.jp」となってる。


しかし、当時の関係者たちの溢れんばかりの熱量が伝わってくるのが、投票用に「全球場に計1000万枚(のハガキ)を予定」の1文。世紀末と言うことで、大々的にやりたかったんだね。